義理の姉夫婦の家で居候生活をしていたのは10か月間。
2階に普段使っていない部屋があるため、その部屋に荷物を少し置かせてもらい、使っていた食器棚や洗濯機、ダイニングテーブル、テレビなどは外の作業場にある空いていたコンテナに。そのほか、衣服や雑貨類はダンボールに詰めたまま、部屋の空いている部分に置かせてもらっていました。
近くに賃貸のアパ-トを借りれるまでの間、と思っていました。
しかし旦那には一向に物件を探す気配がありません。当時、私には貯金がなく、まずは安定して給与をを手にすることから、そしてある程度の貯金ができるまではアパートを借りることなんてできませんでした。
もちろん、居候生活をしている以上は食事をしたりシャワーやトイレを使うわけで、食費、光熱費がかかります。しかし、私には払うお金もなく、できることは家事をできる限りやることのみ。
義理の姉夫婦は、家賃や生活費を請求することもなく、毎日一緒にご飯を食べたり時には遊びに連れて行ってくれることも。確実に私たち一家が来たことで固定費は上がっているはずなのに何もい言わず受け入れてくれていました。
心が痛い毎日。
一方、自分の家ではないことで、やはり色々な事が制限されます。
リビングで座る位置はみんなの普段座らない位置に。いつも窓際に座っていたため、夏場はかなり暑く、クーラーがついていてもじりじりと日差しがきつかったです。
クラーの風が当たる位置に座っている人の体感温度に合わせるので、暑がりの私にとっては毎日きつかったです。就寝時も2階にはクーラー1台ですぐ隣にある姉夫婦と共同で使用。各部屋の扉を半開きにして過ごしていました。
そして私たちのいた部屋にはカーテンがなかったため、朝の陽ざしがかなりまぶしく、暑さがで目が覚めるという毎日でした。
外から丸見えになってしまっているので、着替えはトイレで。
朝はみんなより早く起きて、朝ごはんの準備。
洗面スペースは、農作業に出ていく姉夫婦と旦那が使うためそれに重ならないようにしていました。
みんなが農作業で出て行ったあとは掃除、洗濯、食器洗い。
結構広いスペースであったことと、2階部分があったため、掃除機をかけることは腰部ヘルニアを患っていた私にとってはつらいものでした。
お金がないため、病院受診も控えていました。
洗濯は全員分のもの、特に農作業衣もありかなり大量でした。
毎日毎日洗っては干し、畳みながら、私は一体この先どうなるんだろうと思っていました。姉夫婦だって元々他人の私に下着まで洗濯されるのはあまりいい気持ちをしていなかったのでは、と思います。
洗濯・掃除が終わったら次は昼食の準備。みんなの1時間休憩が終わり、再度作業場へ出た後に、食器洗い。
近所のスーパーへ食材の買い出し。
私には手持ちのお金が少なく、受給したわずかの雇用保険と何かあった時の為にとおいていた少しのお金を切り崩しながら「食材くらいは出さなくては………」と必死でした。
普段は娘も含めて5人分、時には姉夫婦の子供が来ることもあり、6,7人分の食材が必要でした。なるべく安い食材を、と思い、白菜やキャベツ、もやしを買うことが多かったです。
肉類を買うのは大変でした。なるべく鶏むね肉や豆腐を使ってしのいでいました。
時々は義理の姉が一緒に買い物に行き、お肉、お魚を買い、支払いもしてくれました。
お米やパンの主食も姉夫婦が買ってくれているものを食べさせてもらっていました。
夕方には犬の散歩。当時3歳の娘は喜んで一緒についてきてくれました。
他にも猫もいたので、2匹の犬、猫の餌のお皿を洗い、餌とお水の準備もしました。
今まで犬や猫は飼ったことがなかったので、慣れない作業が大変でした。
夕食の準備は姉も一緒にしてくれました。メニューは姉が決めることが多く、その通りに調理を手伝うことが多かったです。自分の食べたいものを作るということは居候である以上、考えなかったです。
娘が3歳であることもあり、本当は夕方にシャワーを済ませ、夕食を食べさせたかったですが、そこもやはり居候である以上シャワー最初にを使うことをためらいました。農作業から汗だくで帰ってくる人が先に使うのが普通かなと。
夕食の準備をしていると姉がシャワーを進めてくれることもあり、早い時間に入ることができる日もありました。
夕食を食べたら食器洗いをしてから娘の身支度をしてやっと就寝。
自分の時間はありません。
就寝時もシングルの布団に娘と二人で寝ていました。
たまには朝寝坊もしたかったな。
毎日使う衣服や化粧品、娘の使うおもちゃなどを部屋に置いていましたが、居候生活も数か月になり、スーパーでもらってきたダンボールを組み立てそこに衣服や雑貨類を収納して生活していました。
ダンボールでできた棚を見るたびに、「みじめだな……」と思い、一人で声を殺して静かに泣きながら眠りにつくこともありました。
姉夫婦に来客があるときは、気を遣い、娘を連れてスーパーで過ごすこともありました。
娘が買って欲しいとせがんだ物も買ってあげられないことが多く、公園を探し何とか時間をつぶしたりすることもありました。
どこにも行く場所がなく、娘と二人、ただ時間が過ぎるのを待っていることがありました。
悲しかったな、つらかったな。
自分ではどうすることもできず、死にたいと思うこともありました。でも、娘や親のことを思うとそんなことはできまでんでした。
生きる方法が見つからず、頭の中が真っ白になっていました。
でも、姉夫婦には本当に助けられました。
もし、出て行ってと言われていたら、どこへも行くところがなく、本当に命を絶っていたかもしれません。
そんな状況でも旦那は一切お金を渡さず、アパートを探す話も居候生活に関しても何も言いませんでした。
後からわかったことですが、姉は、旦那から私へ給料を渡していたと思っていたようです。
姉夫婦には感謝しかありません。
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